今後の執筆活動の方向性について
昨年をもって、数年にわたり続けてきた「交通に関するニュースや施策」「まちのニュース」を追う記事の執筆を自分からテーマにすることはやめました。
今後は、トピックスベースの報道から離れ、目の前に広がる「風景」や「まち」そのものを読み解くことに軸足を完全に移します。なぜその決断に至ったのか、そしてこれから何を書いていくのか。その意図をお伝えします。
交通やまちの「トピック」から、風景の「翻訳」へ
私はこれまで、東洋経済オンラインをはじめ、各種媒体や個人的なワークとして交通機関や現場の取材を重ねてきました。その過程で、鉄道やバスといった「交通機関」は、あくまで風景に出合うための移動手段であるという思いが強くなりました。
私がこれから共有したいのは、移動の先にある「風景を見る面白さ」そのものです。 一見なんの変哲もない商店街、住宅街、ロードサイド、農村といったそれぞれのエリアの風景。これらは偶然そこに存在するのではなく、ある時代の要請や経済的な必然性を経て「選択」された結果として存在します。

なぜ、その見え方をしているのか。 歴史資料や国勢調査などの統計データを紐解くことで、見慣れた景色に立体性や色彩が宿り始めます。そのために私が行うことが、一見すると難解な資料や数字の羅列を、私たちの日常感覚でわかる言葉に「翻訳」すること。そうすることで、地域で起きている衰退や変化といった事象も、断片的なニュースとしてではなく、納得感のあるストーリーとして理解できるようにしたいと思っています。
『ブラタモリ』的な見方との決定的な違い
風景と背景の読み解きというと、『ブラタモリ』のようなアプローチ(地質・高低差・古地図)を想起されるかもしれません。 もちろん自然地形や近世の歴史は重要ですが、私が焦点を当てるのは「近現代史」からのアプローチです。
なぜここに団地が生まれ、駅ができ、農村が残り、港が整備されたのか。 そこにあるのは数千年の地質学的な理由だけではなく、ここ150年ほどの政治・経済・人口動態の変化の中で、人間が何を選択し、どう動いたかという「意思の痕跡」です。
過去の遺構を探すだけでなく、現在進行形の「場所の原理」をデータと資料から解析すること。歴史ロマンに浸るのではなく、選択や時代背景を経た結果として立ち現れた風景として楽しむこと。これが私の目指すスタンスです。
日常の解像度を上げるライティングへ
これからの活動は、専門家向けの堅苦しい論文を書くことでも、情緒的な旅情を求めることでもありません。 私たちが日々暮らしている「現代の風景」が、どのような経緯を経て成立したのか。その裏付けを知ることは、日々の生活の解像度を劇的に上げることにつながると確信しています。
解決策の提言でも、懐古趣味でもなく、「いま、ここにある風景」の面白さを、事実と論理で翻訳していく。そして、その場所の固有性や魅力を伝える。そういった活動を続けていきます。
ここまでお話した視点に基づいた記事が早速、東洋経済オンラインで公開されました。私の考え方のスタンスの一端を、ぜひご覧ください。
▼ 横浜という郊外に広がる風景のリアルと背景を「洋光台」を例に書きました
