JR根岸線のルートを地図上で見ると、洋光台の西で一度北へ膨らみ、本郷台駅で再び南へ戻る「らくだのこぶ」のような線形となっています。一見すると、もっと直線的な線形でもいいはずです。
鉄道は本来、その特性上、直線的なルートが望ましく、実際JR根岸線はトンネルや橋梁を多用して丘陵地を貫いています。それでも、この区間だけなぜ直線で敷けるように見えるにもかかわらず、特徴的なカーブがあるのでしょうか。

現在の地図の印象と異なる当時の住宅開発
通常、こうしたカーブは直線上にある土地を何らかの理由で回避するために作られます。では、その理由とは何か。資料を基に検証してみましょう。
根岸線のルート選定の経緯は、日本鉄道建設公団が発行した「根岸線工事記録」に記されています。同書によると、直線ルート上の土地を避けた理由として以下の2点が記されていました。
- 予定地に宅地造成地が含まれており、関係者から測量中止の申し入れがあった
- 県道・市道との交差部分を整理する必要があった
ルート変更に大きく影響したのは、1点目の宅地造成地の存在でしょう。1968年に撮影された航空写真を見ると、港南台に隣接する港南区日野南地区や栄区元大橋地区では、すでに住宅の分譲が始まっている様子が確認できます。
現在の地図を見ると、港南台駅の開業後にこれらの地区の造成が進んだように見えますが、実際には開業5年前の時点で周辺の民間宅地開発が先行していました。この背景については別の記事で紹介しますが、当時の旺盛な住宅需要が、農林地を次々と住宅地へと変えていたのです。
すでに取得された土地に影響する工事を進めるとなれば、補償費の支払いや工程の再検討が避けられません。工事への影響を最小限にするため、北へのルート変更は現実的な判断でした。また、このルート変更により、県道・市道との交差も道路への影響を抑えた形で進めることができました。
ルート変更の結果誕生した、いまの港南台駅と周囲のまちなみ
根岸線をルート変更するといっても、変更先はちょうど造成中の港南台地区。当然、日本鉄道建設公団は日本住宅公団に協力を依頼することになります。ルート変更自体はスムーズに決まった一方、日本住宅公団側から出たのが「港南台駅」の設置要望でした。鉄道建設公団はこれに対し、工事費折半での駅設置を決めます。現在の港南台駅の賑わいを考えると、当初は駅設置が想定されていなかったというのは驚くべきことですが、いずれにせよ設置要望は出ていたのではないかと推測されます。
一方、当初ルートのまま建設されていたなら、港南台の街の姿は大きく変わっていたかもしれません。港南台の開発は、駅・バスターミナル・商業施設・団地が一体で設計された計画開発でした。駅の位置をもとにバスターミナルや商業施設の位置が決まり、団地の配置もそれに連動します。駅位置がずれるということは、街の姿ごとずれることを意味するのです。
工事記録に示された当初ルートをもとに推定すると、駅は現在地よりも南側、現在のつぐみ団地やひばり団地のあたりに設置されていた可能性があります。そうなると、駅と商業施設、団地の位置関係も変わり、港南台の「顔」はまったく異なる景色になっていたでしょう。
地図上のわずかな違和感を掘り下げると、思わぬ歴史が顔をのぞかせます。現在の街並みもまた、いくつもの偶然が折り重なった結果であることを思うと、街を歩く視点が少し変わるかもしれません。
コメント